なぜ「常識・普通・当たり前」が通じないか 対処編:どう対処すれば良いのだろうか?

常識
大きく変わっていく時代だよ!

常識とは基準だ

「“常識、普通、当たり前”がなくなって困ることがあるのだろうか」と考えました。

私見ですが、常識は多忙中は「思考の省略」で助かりました。
知っている領域ならば、“常識と言う基準”がなくてもそれほど困らないでしょう。

知らない分野で基準がなければ、判断する場合に検討をしたり、考える時間がいるから、生活の効率が落ちます。
しかし「どうすれば良いのか」と思考するわけですから。
自己判断なので個性がでる良い面も。

「常識が変化する社会」、4パターンで対処

以下4パターンに分けて、なくなった場合の対処に関して記載します。

1.常識にとらわれない方は
 今まで通りの生き方・やり方で行けば良いでしょう。

2.頼らないと判断した人
 常識は今の時代はなくなったと認識、あるいは割り切って、それに頼らないで日々の生活を送ります。
 基準はなくてもできるわけですから。
 確かに基準らしきものがあった方が、やりやすいのは事実です。
 縛るものがなくて楽だと考えるのです。

3.高齢者はなしでOK
 長年社会生活を過ごし、
 半ば「引退・隠居」の立場ですから、思い思いの方法で行けば良い。
 誰も気にする必要はないから。
 隠居ですからね。

4.常識がほしい生き方⇒「自分が係る社会」の「当たり前」で良い
 こちらが多数派でしょう。
 なぜなら「菊と刀―日本文化の型」で有名なルース・ベネディクトは「罪」と「恥」をキーワードに
 西欧では「神の目」に罪を感じ、日本人「世間の目」を気にして「恥」を恐れるとしました。
 恥ずかしい行いをしたくないのが基準になります
 「社会」や「会社」、「近所の人」がどう思うかです。
 昭和世代は常識を守れば「世間の目」は気にしなくすんだからです。
 それが曖昧か、もしくはなくなれば関係する社会の「OK基準」にすれば良いでしょう。

まとめますと、「今までは通用した常識」から「関わる社会のOK」に従えば良いでしょう。

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