雪の降る……………
降る雪や………
想い出だけが 通り過ぎてゆく
降る雪を眺めていますと、シャンソン歌手の高 英雄さんが、すみきった高音で歌った「雪の降る街」のメロディー、歌詞が浮かんで来ます。
「想い出だけが 通り過ぎてゆく」のフレーズが頭に、ココロにリフレインします。染みわたっていくのです。
昭和は遠く…
もう1つは、中村草田男氏の「降る雪や 明治は遠く なりにけり」の俳句も心に残ります。
30歳の時に読んだ俳句と知り、冴えわたる感性に驚いたことを、昨日のことのように思い出します。
我々ならば「昭和は遠くなりにけり」ですね。
共有された感情こそ…
高さんの歌を聴いていますと、私の「想い出」の引き出しが開き、当時の情景が鮮明に、イキイキと浮かび、しだいに癒されていきます。
感情-喜び、哀しみ、感動、憤り、むなしさ、寂寥感が惹起されるからでしょう。
「彼が、彼女が、仲間が、恩師が話している。
声が聞こえてきます。
笑ってますよ。
あぁ、あの時、こんなことを言って笑ったよなぁ。
バカ言ったよ、景色の素晴らしさに声も出なかった、感動したよ‥‥エトセトラ」。
キモ、それは「共有された感情」でしょう。
家族、友、恋人、仲間、ともに感じた生々しい感情です。
だからこそ「想い出」になる。
残るのは「想い出」と “仲間”だけ…
75歳になった今、しみじみと感じますのは、人生で大事なものは「想い出」と仲間・「人とのネットワーク」ではないか‥‥・と。